全然良いタイトル浮かばないんだけどとうらぶの話

 

 

 

 


刀剣乱舞
ゲームをやっていてドはまりしたというわけではなかったけど、アニメは花丸も活劇もちゃんと見た。歴史モノが好きだったというわけでもなかったのでそういう意味で思い入れがある刀はいなかった。(新撰組が好きだから新撰組の刀が好き、みたいなやつね)
推しの刀はいる。グッズもいくつか持っている。モチーフグッズ、イメージグッズなどが好きなので、推しの刀以外でかわいいものがあれば買うこともある。一番くじもたまに引く。ぬーどるすとっぱーをゲットした。作品全部を、というわけではないが、ミュも行ったしステも行った。配信やDVDでを含めれば、全部観た。


刀剣乱舞のゲームそのものや刀、アニメ、舞台、ミュージカルへの考察を見ることも多いけど、見るたびにすごいなあと思う。考察することは好きだけど、深く多角的に考えることができないので、結局通り一遍な薄っぺらい考察にしかならない。 
これは若手俳優オタクのはてブロなので、まあつまりミュとステの話になるわけだけど、言ってみれば全く違う二つものもが反発することなく、それぞれの良さを生かして、そして同じ時期に公演を行えるなんて本当にすごい。それぞれが他方に勝とうとかそういうのではなく、ミュはミュ、ステはステとしてあるからこそ、それぞれに同じ刀が登場しても問題なく進んでいるんだと思う。これについては、本丸というゲームの設定もあるかもしれないけど。でもいつだって公式がミュやステに絡んでいる以上それなりに安心して観ることができるし、そして、なにか伏線があるのではないか、なーんて期待せずには観られない。
5月に千秋楽を迎えたミュも、明日から初日が始まるステも、いままでの公演についてたくさんたくさん考察をみた。たとえばミュでいまになって再演するのはなぜかとか、なぜこの刀で隊を組んだのかとか、なんか修行に行ったし、遡行軍の謎みたいなのにも触れかけたし。たとえばステで初演と再演で立ち位置やセリフが違うのはなぜかとか、タイトルの意味とか、この上なく意味深なセリフの数々だったり、なんなら新作に関しては伏線回収されますみたいなこととか言っちゃってるし。

 

 

 

 


いや、絶対面白いじゃんそれ。
ただ見て「わー面白かったー」っていうのももちろん楽しみ方だけど、同じチケット代を払うなら観て、考えて、こうかなあ、ああだったかなあ、そうかもしれないなあなんて考える時間まで楽しみたい。二度も三度も楽しみ尽くしたい。
いや全然伏線とか無いっす 見たまんまっす 
みたいなものだったら別にどうでもいいけど、だってどう考えてもここひっかかるみたいなのがたくさんあるじゃん。あるならさあ!拾いたいじゃん!でもさあ!拾えないんだよチケット当たんないから!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 


キャストもスタッフも表の人たちも裏方も、生半可で適当な気持ちで作った作品じゃないってのが伝わってくるから余計に、そんな楽しそうなものを、チケットが当たらないっていう理由だけで楽しめないのがすごく、すごくなんかこう、露骨に言ってしまえば、嫌。悔しい。悲しい。

いまのところ私の手元に明日からの公演チケットは無いので、私が伏線だと思っている伏線は回収されない。あれもこれもそれも、キャストやスタッフ達が「一番こう表現したい これが伏線の答えだという最適解」の形はわからない。
舞台は生ものだからその日その日によって違うから行きたいっていう話をしてるんじゃなくて、舞台やミュージカルという媒体で作った以上、それである理由、それでなければできない表現があるはずで、だから会場に行って観たい。会場じゃなきゃだめなの。ライブビューイングと配信とDVDでいいじゃんって言われることもあるけど、それでいいなら最初から舞台やミュージカルって形で作ってないだろうよ。明らかに画面の枠の外で何かしてるのにそれが見れないもどかしさわかるでしょ?(目が足りなくて見れないとかはいまは話が別 あと、チケット取る努力してないとかいう話も別)

 

 

 



毎度何が言いたいかわからないので要約すると、
「こんなに楽しそうで実際楽しくて作ってる人たちが一生懸命なものを、チケットが当たらないっていう理由で楽しめないのが地団太踏むほど悔しい」
っていう話でした。

君を見つけてごめんね

 

 

 

 

 

好きな役者さんがいる。

 俳優、と呼ぶと「そんなたいそうなものじゃないよ」なんて謙遜するので、役者さんと呼ばせてもらう。いわゆる小劇場役者で、劇団に所属しているような感じの人だ。事務所には所属していない。友達に誘われて行った舞台に出演していた人で、終演後の面会で話をさせてもらい、ころりと落っこちてしまった。舞台や演技の裏話をこっそり教えてくれるところとか、どんなに仲良くなっても絶対に客として扱ってくれるところとか。飄々としていて掴み所がないけれど、いろんなことを考えている人。

この人のまた違った役が見たいと思ったので感想としてそう伝えたし、出演舞台は欠かさず行った。

 

 

 

先日も舞台に出演していた。

いつも通り面会で挨拶をさせてもらっていたときに、「この先はどうなるかわからない」ということをこっそりと話してくれた。
 

 

いつも面会に出てくれるので、話ができなくなってしまうのは悲しいけど、じゃあ連絡先を交換して友達になりたいのかと聞かれれば、それはまた違う気がする。でも、出演してもらえなければ話をすることもできない。いつもありがとうねと言ってくれるけど、それに対してこちらこそ出演してくれてありがとうとちゃんと言えていただろうか。小劇場役者、劇団役者がそれだけで満足に生活していくことはなかなか難しいという現状も知っているつもりなので、また出演してくださいとも、お願いだからやめないでくれとも言えない。(言ったけど)

役者として舞台に立ちたいという思いとは別に、本人の事情、家の事情と言われればそれ以上は首をつっこむ余地もない。一身上の都合で役者という仕事を退職することを、転職を考えている私が止めることはできない。

 

 
 

かわいい役もできれば渋くてかっこいい役にもなる。 

真面目な役も、おちゃらけた役もできる。

外見が年齢不詳だから、幅広い年の役をやる。

 どの作品に出ても必ずやる仕草が面白い。

 あまりに徹底して客として扱ってくれるから、面会のときですらどこまでが本当でどこまでが演技なんだろうと思うことがあるけど役に入りきって泣いているときはああちゃんと人間だなと思える。(失礼)

 私はその人が、舞台に立っている姿が一番好きだ。

「どうなるかわからない」と言われたので、もしかしたら何かに出演してくれるかもしれない。でも、してくれないかもしれない。 

この人が舞台の上でライトに当たっている姿を見るのはこれが最後なのかなと思い泣きながら千秋楽の舞台をみた。面会で大泣きして困らせてしまった。

 

 

 

ここが良かったってもっと言えばよかったのかなとか、もっと回数行けばよかったのかなとか、あれは言わないほうがよかったのかなとか、これがだめだったのかなとか、考え出したらキリがない。例えば手が届かないほど売れて有名になって、面会に出なくなって、話ができなくなっても構わない。

まだ舞台に出ている姿をみていたかった。

舞台に関わっている姿をみたかった。

なにを言っても気が済むことがないのはわかってるけどこんなに気が済まないのはきっと、良かったよってもっとたくさん言えばよかったっていう後悔があるからにほかならない。

どうしたら、役者をやめないでいてくれますか。

 

 
 

 

 

 

 

結局何が言いたいのかよくわからなくなっちゃったけどそのときのモチベーションだとか、自分の都合とかはいろいろある、でも、見れるうちに見て、そしてここからが重要で、感想が言えるうちに言うのがいいよって、推しがいる人全員に(大声で)言いたい。

 

 

 

言えなくなる前に、ね。 

 

手紙が書けない

 

 

推しに手紙が書けない。
手紙を書くことに対して超ハードルが低いこの私が、なんと推しに手紙が書けない。
舞台の初日やイベントがあるときには何かしら、初日おめでとうでもイベントおめでとうでも手紙を書いていたけど、次のイベントに向けてなんとまさかの何を書いたらいいかわからない。

 

これ

全部全部タイミング - 推しかカレーライスかと聞かれたらカレーライス

の通り今はいわゆる「モチベが低い」状態だと思う。いままでモチベが低いみたいな状態にほぼなったことがなかったので、どうしたらいいかわからない。病むことは(よく)あるけど推しのことはいつも大好きだった。写真が上がれば持ち直すし、本人に会えば元気になる。
いやたぶん今回も会ったら「かっこいい!好き!」ってなる可能性大なんだけどね。

少し発言に不安のあるひとだから、何を言うかハラハラしてしまう。うっかり失言でもされたら(されたけど)降りるというか嫌いになっちゃいそう。
でもなー。嫌いになりたくないんだよ。前にも言ったように、降りたくない。まだ好きでいたい。
こういうところいやだなって思いたくない。でも見てると思っちゃう。私はこんなに君のことを応援していて、かっこよくてかわいいと思っていて、ここが良かったと思っていて、行けないけど応援してますマンを全て捻じ伏せて実際に舞台もイベントも行って、手紙やコメントでどこが良かったよと書いていたのに伝わってなかったのかなって。だめだったのかなあ。あーーかなしい。
失言もカノバレも全然平気だったけど、「自分のことを見てくれる人がいない」(超意訳)みたいなことを言われちゃうとあれ私ってなんだっけ、ってだめだった。

茶の間でもいいから、茶の間ファンだけでも離さないようにできることはやってほしい。仕事が決まらないのはもうこの際いいから、せめて頑張ってるそぶりを見せてほしい。途切れず仕事が来るようなタイプじゃないんだから、さあ。

はてブロ先人の皆様はモチベが低いときどうしてますかまじで。

全部全部タイミング

 

 

 

そういう気分のときってあるじゃん。
いまがそういう気分なんです。

推しとそうじゃない人の間にどんな線引きがあるかは自分でもよくわからなくて、でも推しは紛れもなく「推し」と呼べる。
私推しくんたちのこと大好きなんですよ。
どういう基準で推しのことを推しとするかは例えば、舞台に出るところはみにいこうかなと思うけど
個人イベントには行かないかな・・とか。
演技をしているところには興味があるけど、素の本人にまで興味が持てるかどうかみたいな感じはっきりしているわけではない。ぼんやりしたイメージみたいな。

この子が推しだったら楽しいだろうなあと思う俳優さんがいる。それは推しの共演者だったり、たまたま行った舞台の出演者だったり、友達の推しだったり、前から知っている俳優さんだったり、いろいろ。
はっきりしないと言っておきながらおかしなはなしだけど、ああこの子が推しにならないかなと思うこともあるのに、やっぱりどうしても推しにはなりきらない。
今推している子たちが推しだなあといつも思う。


でも、でもね。
いくら大好きだからといって理由なく無条件に推してあげることはできない。
どこが好きかって聞かれてもうまく答えられないけど、惰性で推してるわけじゃない。推しだなあと思い始めたきっかけはちゃんと覚えてるしこれからも忘れないけど、その気持ちは同じ熱量を保ったままいつまでもは続かない。温め続けるための燃料と火をくれないと、だんだん気持ちがぬるくなってしまう。

っていう、「そういうとき」。


よりにもよってそういうときに気になるなと思っていた俳優さんがすごく良いものを見せてくれると、ぱったりそっちに倒れこんでしまうんじゃないかと思う。
でもまだ推しを推していたい。早く熱を取り戻したいので早くイベント当日が来てほしい。
あと舞台とかに出てほしい。

首を長くして待っています。

 

 

なにを?情報解禁を。推しの仕事の予定を。

 新しい舞台の予定はぽこぽこ出るのに、推しの予定は出てきません。

 

◯月以降の予定が出ない!情報解禁まだ?!

なんて声を私の周りで自分含めてよく聞くけど、なんとなくしっくりこないのは私だけだろうか。そりゃあたしかに舞台だのイベントだのの予定は早く出してくれないかなあとは思っているし、早く予定を出してくれるに越したことはない。というか早く教えてほしい。急に言われても空いてないかもしれないし、休みの都合を前もってつけなきゃいけない人もいる。早めに言ってもらえたらもしかしたらより多くの集客が見込めるかもしれないし、より多くの人が興味を持ってくれるかもしれない。なにより、急に言われても空いてない。(2回言った)

 

 

でもなんかなあ。

公式の意向でまだ情報解禁できないのかもしれない。そういう意図があるのかもしれない。告知をサボっているのかもしれない。本当に仕事が決まらないのかもしれない。

たしかにコンスタントに仕事があり続けるくらいの俳優さんだったら、情報がないと「おかしいな?」ってなるだろうし、これまでの出演頻度からするとこの時期絶対何かあるだろうだけど予定が立てられず、もうある予定と被ってしまったらどうしようとやきもきするかもしれない。というか現在進行形でやきもきしている。

告知をサボっているパターン以外の場合別に推し本人が悪いわけではないのでは?と考えているので、どちらかと言えば責め立てられるべきは推し本人ではなくて公式や運営だよなあ…と思わないこともない。しっくりこないのは、「情報解禁まだ?」という言葉が、対象が誰であれそれぞれの推しを責めているように感じるからなのかもしれないけど、私の推しくんの出演予定が決まらないことからくる無い物ねだりなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

記事のネタをくださる女神がいたらコメントよりどうぞ…。これについて語って!とかあれば…語彙力無いけど…

アンケートは回答しますか?しませんか?

 

 

 

まきますか?まきませんか?みたい。年代がばれる。

アンケート、私は回答する派。かつてアンケートをもらう側の仕事をしていた頃、些細なことでもあるのと無いのとでは大違いだったし、その一手間を使ってくれた意見は聞こうという声が多かったからだ。また、シリーズものの舞台でアンケートに書いた内容が次回反映されていたとき、嬉しかった。私が書いたアンケート用紙が読まれたかどうかは別にして、偶然だったとしても書いて良かったと心から思ったから、できるだけ書くようにしている。

 

「舞台化してほしい作品はありますか?」

せっせこ答えたアンケートの最後にそんな項目があった。うんうん唸って考えて考えて考えて、一晩寝かせてみても答えられなかった。

舞台化、なんでも舞台化。2.5次元が流行り。映画もドラマも原作・アニメがあるものばかり。

おお、これも舞台化するか、なんてものもあったりするし、へーこれが映画になるのかとCMを見ながら思うこともある。また舞台化かあ、なーんて言うこともあるけれど、それは流行りだから仕方ないと思う。だってもし私が制作側の人間だったら、流行には乗ろうとするもん。そしてフライヤーを見ながら、これ面白そうだなと公式サイトを検索する。

それらは全て受け身なのだ。アニメ化してほしい作品はあるが、舞台化してほしい作品は無い。テニスもバレーもバスケも野球もサッカーも、死神も悪魔も国も鉄道も舞台化しているのだから、おそらくやってやれないものは無いだろう。でもひとつも浮かばなかった。舞台化しますと言われて初めて興味を持って、原作が好きだから行こうかな、面白そうだから行こうかな、推しが出るから行こうかな、と思う。

漫画やゲームの二次元キャラが、アニメで動いて喋ってほしいとは思う。でも「舞台になってほしい」と思う作品は見つからない。舞台そのものは好きだが、どうしても舞台でやってほしい!という感情には至らない。舞台の好きなところはたくさんあって、例えば「そこにいること」とか、「舞台上にいるうちは例え端の端の端だろうがなにかしら演技をしなければいけないこと」だとか、いつかちゃんと考えて書けたらいいなと思っているけど、それらであってほしいものはまだ見つかっていない。

 

シリーズ化している2.5次元舞台が好きな友達が、

「原作が好きで舞台を見て、舞台としてこの作品も好きになって、好きな俳優もできたし、こんなに素敵な舞台にしてくれてありがとうと思っているけど、やっぱり嫌なところもあって、もっと、もっとどうにか上手くやってくれないとこれ以上見続けられない」

と話してくれた。我が家にDVDを持ち込み、これでもかというくらい布教しながら。(笑うところ)

やれば誰かしら来るだろう、この俳優を出しておけばとりあえず来るでしょ、って思われているんだろうなあと感じる作品も無いとは言えない。だから規模の大小こそあれ舞台化、2.5次元化はまだまだ続いていくとふんでいるけれど、もっと上手くやってくれないと、飽和状態のこのご時世では疲れたおたくが一人、また一人とぽろぽろこぼれ落ちていってしまう。

 

 

 

 

 

アンケートの話はどこ行った。二日酔いの頭で書くもんじゃないな。

 

推しが出ていない舞台に行きたい



推しが出ていない舞台に行きたい、と常々思っている。推しの姿が見たくないわけではないし、嫌になったわけでもない。いつでも推しは見たいし、早く仕事決まって……と思っている。ほんと早く仕事決まって。

推しが出ている舞台に行くと、推ししか見れないのだ。もちろん、推し以外を見ていることもある。それでも、登場する場面になるとつい目が追いかけてしまう。推しを見なくても大丈夫なくらい回数を通う舞台だったら、心置きなく推し以外を見ることができるんだと思う。でも何回行ったらそう思えるかは行ってみないと分からないので、たいていの場合、やっぱり推しを見てしまう。(チケットを二桁持っていたときはさすがにのほほんと推し以外が見れた)
推しを見るならいいじゃない、と言いたいところだが、どうしても自分に納得いかないことが二つある。


一つ目は、「推し定点」と呼べるほど定点じゃないこと。
推ししか見れない話じゃないんかい!と言われそうだが、100%推ししか追いかけていないかと聞かれたら、そうでもない。推しの一挙手一投足を一瞬たりとも逃したくないとは思っているが、なんとなく目を引くキャストがいるとか、この場面のこっちは何をしているんだろうとかで、推し以外を見ていることも多々ある。舞台が終わってから友達とご飯を食べているときに、「ここの推しくんかわいかったよね~~」という話題になり、「え!私それ見てない!」なんてことが起きたりする。かと思えば、「この場面の○○くん良かったね~~」と言われ、「え!それ見たかった……」となることもある。日替わりなんてされた日には目が足りない。
推しの良いところも見逃しているし、他キャストの良いところも見逃している。せめてどちらかに振り切れたらいくらか気持ちがマシになるんだろうとは思うが、どちらにも振り切れないのは自分の問題のため、非常に納得がいかない。

二つ目は、舞台をみるのが好きなこと。
推しがいるとかいないとか関係なく、そもそも私は観劇という行為が好きである。初めて触れる話だとか、舞台ならではの演出だとか、それら全てをひっくるめて好きだ。こういう意図があってこういう演出なんだろうとか、それが正解だろうが不正解だろうがそんなことはどうでもよくて、自分が勝手に考察して勝手に悩むところまで含めて好きだ。その「舞台」というコンテンツを隅の隅まで楽しみたい。演出効果も見たいし、役者も見たい。音も聞きたいし、照明も見たい。
そう考えている自分にとって推し定点は、推しを見るということに関していえばすごくすごく楽しいけど、舞台を楽しむという意味では非常にもったいない見方に思えてならない。なので、推し定点に振り切ろうとするとどこかで心が許してくれない。でも、推しを見たい!見なきゃ!という気持ちもある。


そんな二つの理由から推しが出ていない舞台に行きたい、と思う。
必死に推しを見なくてもいいし、推し定点をしたことでこの舞台を100%楽しめなかったのではないかと後悔することもない。推しの良いところを全然見つけられなかった!と嘆くこともない。
あ、この子良いなー、この演出面白いなー、のテンションで舞台が見たい。


 

 



他の俳優おたくさん舞台おたくさんが推ししか見ない派なのか他キャストも見る派なのか気になるところ。

 

とかいいつつ、この先の観劇予定三連続で推しが出ない舞台です。
推しくん達に良い仕事が来ますように!