期待しなければ失望もしない。


タイトルの印象ほどネガティブな話ではありません。たぶん。

わたしはものすごく他人に期待するタイプだ。勝手に期待して、勝手にショックを受けて、勝手に落ち込む。
「他人」の範囲は親、友人といった間柄に限らず、会社の同僚、店員さん、電車で隣に座った人、そしてもちろん、推し。期待という言葉を使うと、なにか大きなことを想像するかもしれないが、この場合は「こうしてくれたらいいな」という期待である。いまこれとこれで悩んでいるんだけど声をかけてくれないかなという期待、もう少し向こうへ席を詰めてくれないかなという期待。毎日小さな期待をしては、毎日小さなショックを受ける。
話したいことがあるけど、話題を振ってくれないかな
落ち込んでいるから、どうしたのって聞いてほしいな
これはもうずっと前からの癖みたいなもので自分の中では当たり前の出来事だったため、小さな期待をすることに違和感も何も覚えていなかった。ただ、勝手に心をすり減らして勝手に疲弊していた。

俳優オタクのページなので俳優の話をすると、全く知らない赤の他人にさえ期待するのだから、当然推しにも様々な期待をする。
この舞台に出るならこうしてほしい
この役をやるならこうしてほしい
きっとで上手く喋れる・演じられるだろう
もっとうまくできるだろう
期待をすることは悪いことではないと思うし、推しだから余計に期待する。余計に期待するから、そうじゃなかったときのショックも大きい。
あげたプレゼントを使ってくれると思っていたのに
ファンサしてくれると思っていたのに
覚えてくれていると思っていたのに
もっとうまく演じてくれると思っていたのに
もっと真面目だと思っていたのに
もっと良い返事をくれると思っていたのに
そんな「思っていたのに」が積み重なって、「推すのに疲れちゃった」「最近迷っているんだよね」と言っている人をよく見かける。かく言う自分もそうだった。
現実的な話になるが、舞台だってイベントだって少なからずお金を使っているわけだから、迷ったまま使いたくない。
そんなときに、俳優オタクでもなんでもない友人に「期待する話」を聞いてもらった。
返事は、「自分で自分の首を絞めているようにしか見えない」と「なんで他人にそこまで期待できるのか全く分からない」とのことだった。ちなみに悪意があって言ったわけではない。友人は、良い意味で全く他人に期待していない。深入りもしないし、「○○してくれた!ラッキー!」程度に思っているそうだ。わたしが当たり前のように期待するのと同じで、彼女は期待しない。


期待しないって楽だ。逆に言えば、期待するってすごく疲れる。期待してその通りにいけば嬉しいけれど、その通りにいかなかったとき、期待値が大きければ大きいほど疲労も失望も大きい。
そもそもなんで推しに期待しているかといえば、「そうしてほしい」はもちろんのこと「出来るだけの能力はあるだろう」と思っているからだった。そして、もう一人の推しには全く期待していないことに気が付いた。
推し2のことになるが、彼には全く期待していない。こういう言い方をすると、かわいそうとか冷たいとか言われるが、そういうことではない。先ほどの通りで言えば、「出来るだけの能力が無いだろう」と思っているのだ。推し1より若いし経験もほとんど無い、人見知りだし、トークが苦手だし、なんなら売り出し方も定まっていない。
推し1に対しては、できるだろう(もしくは、これくらいできて当然)という期待を持ってしまっているが、推し2に対しては、今日もぐだっとしたトークになるかな、と思うくらいである。
推し1が期待にそぐわず結果を出せないとものすごくショックを受けるのに対し、推し2が一言でも上手いことを言えば、少しでもがんばりをみせればそれだけで「よく頑張ったねーーーーー!!!!!!!!」と褒め称えてしまう。
経験や能力の差といえば確かにその通りだが、二人ともわたしの推しには変わりない。二人とも好きだし、頑張ってほしいし、活躍してほしい。



考えを改めてほしくてこんなことを言うわけではないけど、これを読んだ誰かが、こんな考え方もあるんだと少しでも楽になってほしいと「期待」して、このブログを書いている。