推しが出ていない舞台に行きたい



推しが出ていない舞台に行きたい、と常々思っている。推しの姿が見たくないわけではないし、嫌になったわけでもない。いつでも推しは見たいし、早く仕事決まって……と思っている。ほんと早く仕事決まって。

推しが出ている舞台に行くと、推ししか見れないのだ。もちろん、推し以外を見ていることもある。それでも、登場する場面になるとつい目が追いかけてしまう。推しを見なくても大丈夫なくらい回数を通う舞台だったら、心置きなく推し以外を見ることができるんだと思う。でも何回行ったらそう思えるかは行ってみないと分からないので、たいていの場合、やっぱり推しを見てしまう。(チケットを二桁持っていたときはさすがにのほほんと推し以外が見れた)
推しを見るならいいじゃない、と言いたいところだが、どうしても自分に納得いかないことが二つある。


一つ目は、「推し定点」と呼べるほど定点じゃないこと。
推ししか見れない話じゃないんかい!と言われそうだが、100%推ししか追いかけていないかと聞かれたら、そうでもない。推しの一挙手一投足を一瞬たりとも逃したくないとは思っているが、なんとなく目を引くキャストがいるとか、この場面のこっちは何をしているんだろうとかで、推し以外を見ていることも多々ある。舞台が終わってから友達とご飯を食べているときに、「ここの推しくんかわいかったよね~~」という話題になり、「え!私それ見てない!」なんてことが起きたりする。かと思えば、「この場面の○○くん良かったね~~」と言われ、「え!それ見たかった……」となることもある。日替わりなんてされた日には目が足りない。
推しの良いところも見逃しているし、他キャストの良いところも見逃している。せめてどちらかに振り切れたらいくらか気持ちがマシになるんだろうとは思うが、どちらにも振り切れないのは自分の問題のため、非常に納得がいかない。

二つ目は、舞台をみるのが好きなこと。
推しがいるとかいないとか関係なく、そもそも私は観劇という行為が好きである。初めて触れる話だとか、舞台ならではの演出だとか、それら全てをひっくるめて好きだ。こういう意図があってこういう演出なんだろうとか、それが正解だろうが不正解だろうがそんなことはどうでもよくて、自分が勝手に考察して勝手に悩むところまで含めて好きだ。その「舞台」というコンテンツを隅の隅まで楽しみたい。演出効果も見たいし、役者も見たい。音も聞きたいし、照明も見たい。
そう考えている自分にとって推し定点は、推しを見るということに関していえばすごくすごく楽しいけど、舞台を楽しむという意味では非常にもったいない見方に思えてならない。なので、推し定点に振り切ろうとするとどこかで心が許してくれない。でも、推しを見たい!見なきゃ!という気持ちもある。


そんな二つの理由から推しが出ていない舞台に行きたい、と思う。
必死に推しを見なくてもいいし、推し定点をしたことでこの舞台を100%楽しめなかったのではないかと後悔することもない。推しの良いところを全然見つけられなかった!と嘆くこともない。
あ、この子良いなー、この演出面白いなー、のテンションで舞台が見たい。


 

 



他の俳優おたくさん舞台おたくさんが推ししか見ない派なのか他キャストも見る派なのか気になるところ。

 

とかいいつつ、この先の観劇予定三連続で推しが出ない舞台です。
推しくん達に良い仕事が来ますように!