わたしの推しごと論

 

 


私はりあこではないけれど、推しのことが好きで好きで仕方ない。だって推しだもん。望むことはなんだってさせてあげたいし、こうなりたいと思うものがあるんだったら、そのためにできることはなんでもする。

勘違いしないでほしいのが、「なにをしても許す」というわけではない。最低限の礼節を持っていてほしいし、仕事は真剣に取り組んでほしい。いやいやそれは……というようなことをしたら嫌いになるかもしれないし、応援したいと思わせてくれば推せない。

先日俳優おたくではない友人に、「そんなにイケメンばっかり見てるから満足して彼氏作る気にならないんじゃない?」と言われた。まあ、普通に考えたらそうだよね。若くてかわいくてかっこいい男性を見てたら現実の男(俳優だって現実に存在するけど)なんてみんなジャガイモのように見えてくるんじゃない、という意味だったと思う。

重ねて言うが、私はりあこではない。推しと付き合いたいわけではないし、友達にもなりたくない。そもそも繋がりたくない。(パトロンかスポンサーにはなりたい)

 

 

推しが推しである以前に、俳優という彼らは、私にとってエンターテイメントの一つでしかないのだ。

舞台、イベントといったエンタメを提供してくれるコンテンツのひとつにすぎない。そういう観点では、推しも推しじゃない俳優も同じだ。ただその中で、重点的に見ていたいなとか、活躍を後押ししたいなとか、そういう気持ちが生まれて晴れて推しになる。

推しに甘いとよく言われるが、私は彼というコンテンツを十二分に消化したいだけなのだ。だから、例えば舞台に行って「楽しくなかったなあ」と思って帰りたくない。今日はだめだったなあ、ここが嫌だったなあなんて心のひっかかりはただのひとつも持ちたくない。だってエンターテイメントだから。楽しいをくれる存在でなければいけない。

だから、私の「楽しい」の感情を阻害するようなことを言われたりされたりすれば怒る。

だから、できるだけ良いところを見つけて目を向ける。

そんなところから、推しに甘いと言われるようになったんじゃないかと思う。

 

 

話が逸れるが、推しもしくは推しに関わるコンテンツは他の人にも楽しんでほしい。

押し付けがましいお節介野郎だという自覚はもちろんある。どういうスタンスで臨もうが、どういう気持ちでいようが個々人の自由だけど、時間もお金も使ってるんだからできれば楽しい気持ちでいたくない?自分と同じ考えになってほしいとは思わないし、考え方を強制するつもりも矯正するつもりもないけど、こんな考え方もあるんだよ、の思いでこれをしたためている。長くなりそうなのでこれはまた別の機会に。

 

閑話休題

だからなにが言いたいかというと、もっと楽な気持ちでいていいじゃん、と思う。だって推しである以前に俳優という「コンテンツ」なのだから。楽しまなきゃ損だよ。よく、「こんなんじゃ推しとは言えないね」なんて話を聞くけど、こうこうこういう条件をクリアしたから推しです!なんて目に見える基準が設けられているわけではないし、そもそもその基準を決めるのは自分自身だ。時間もお金もかけていようがいまいが、自分が推しだと思ったから彼は推しなんでしょう。その気持ちにだけは自信持ってよ、少なからず好きなんでしょ。

 

自分の考えを整理するために書いているけど、いつか、いま思い浮かべているあの子がもっと楽に楽しく推し事ができる一助になったらいいなと思っている。本人に見せることはないけど。

 

 

 

 

推しごと論になってるのかなあこれ。